2024年6月「角地の阿」

 犬が大きく口を開け、その前脚を二本揃えて立て、後ろ脚を膝から折り腰を落としている。耳まで被さるように少し波打つ髪は、まるで獅子の鬣のようにも見える。踏ん張っている前脚の筋肉の仕上がりは見事に美しい。しかも彼の立っている所は、私の目線よりも高いところである。

 待てよ。今、彼と言ったが彼女かもしれない。しかし、私の眼では判別できないから、筋肉の逞しさから、ここは”彼“と呼んでおくことにする。

 彼の眼は優しさと強さが入り混じった大きな瞳を持っている。しかも爛々と輝いている。何かを恫喝しているのか、それとも慈愛の眼差しなのかわからないが、畏怖さえ感じられる。大きく開けた彼の口は、何か獲物を狙っているのか、何かを叫んでいるのか。しばらく見てはいるが襲ってくる気配はなさそうである。

 階段の端に腰を掛ける。犬の頭上に視線を上げていく。生い繁る木々の葉が、ぐるりと空を囲んでいる。曇り空ながら白雲の隙間から三筋の青空が見えている。空は木々の葉に遮られ、天翔ける何者かのような形の空をしている。葉が風に揺られサワサワと軽やかな音を立てている。なんの鳥か判らないが、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 心の中に何か浮かんでくるが、それが何なのか言葉にできない。言葉にできないのは私の語彙が貧しいからだろう。それはさておき、人の持つ願い、祈り、望み、そんなものをすべて飲み込んできたのが、この犬かもしれない。犬のいる空間は決して広くはないが、凛とした神々しさを感じる。そして飲み込んだものすべてが空になる。

 いやいやそんなに分かったようなことを言うつもりはない。今年の春から某大学に3年次編入し、改めて学びなおしているが、仕事との両立で怒涛のような5月であった。5月末までに原稿用紙20枚の課題論文の提出があった。結果はまだ先だが、今日は久しぶりの休息である。

 気が付けば、陽は既に傾き始めている。この空間は、西側と南側は人も車も交通量の多い交差点の角地である。さほど大きな面積はなく、せいぜい300坪ぐらいの土地である。三方を木々に囲まれた神社である。徳川家康がこの地に城を築いたときに、家康の命により創建された神社であるから、そんなに古い神社ではない。古くはないが古色蒼然としていて、いい具合に朽ちてきている。私の好きな神社の一つである。

 今日は、“阿”を観てきたから、今度は“吽”を観に来るとする。その前に、ここから300メートルも東に歩けばネオン街である。もう少し、思索を深めるには良い場所かもしれない。私はゆっくりと立ち上がった…

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2024年6月1日

photo by kishimoto