記憶のかけら 其の2「まぼろしの市長賞」

2024年8月「記憶のかけら 其の2」「まぼろしの市長賞」

 8月になった。“ピーカンの青空”が広がっていた。さあ、これでひと月は宿題しないで遊べるぞと思ったのは、小学校5年生の夏休みだった。当時は、「夏休みの友」という宿題があり、7月28日はこの課題、8月3日はこの課題というように毎日課題が出ていた。加えて、毎日の天気の様子や気温を書く欄が設けられていた。自由研究という名前の厄介な課題もあった。私は、夏休みになる前からこの「夏休みの友」攻略戦法を考えていた。とにかく7月中には、一つの課題を残して、すべての課題を片づけて8月は遊ぼう!と思っていた。

 先ずは、8月31日までの天気である。ほぼ毎日晴れ、時々小雨を記入する。気温は28度から31度をテキトーに書いておく。問題は、自由研究だったが、これは目星がついていた。1学期の理科の授業で生物の擬態というものを習った。

 そこで考えたのが、「金魚の擬態」だった。夏祭りの縁日の金魚すくいで手に入れた金魚を水槽に入れた。そして、水槽の周りを青い色紙で囲う。これで、金魚の色が変わるか?という実験だ。変わるわけはない!と思って、毎日の観察記録。これも先に書いてしまう。7月30日変化なし、8月7日やや青みがかかる。8月31日金魚は青色に変色。しかし、色紙を外すと、元の色に戻ってしまった。ゆえに金魚は擬態しない。こういうストーリーを先に書いてしまっていた。

 問題は、先ほど述べた「一つの課題を残して」というやつである。これは写生である。国語・算数・理科・社会はフツーにできたが、私は図画工作と音楽がからきし苦手であった。(その弱みをカバーするために、今になってゲイジュツ大学に入学したのかもしれない)しかし、心配はなかった。なぜなら絵の上手な強力な助っ人がいたからである。あの“ミスターのユニフォーム”のおやじである。おやじは、絵が上手かった。私の絵があまりにもヘタクソなので、いつも代わりに描いてくれたのだ。それでもこの年は、一緒に風車のある公園(註1)に行き、絵の描き方を教えてくれた。

 しかし、あまりにも私の絵が拙いので、「おやじの描いた絵」を提出しろと言われた。さて、夏休みが終わり暗黒のムードが漂う9月1日を迎えた。恐る恐る夏休みの友や自由研究の成果、おやじの描いた絵を提出した。先生は、自由研究がよかったとほめてくれたが、8月30日は雨だったゾ!と言いつつ、この絵は誰が描いた?おやじが描いたと言うと、「上手いな。上手すぎる。これは夏休み絵画コンクールに出せば間違いなく市長賞だ。学校の評価も上がるからコンクールに出そう」と言った。

 なんとなくそれは、マヅイと思ったが、周りの友達も「先生がいいって言うからいいんだよ!」と囃し立てていた。しばらくすると先生が「私にもリョウシンがあるから、提出はやめた」と言った。先生も両親(、、)の言うことは聞くんだなと思った。2学期のはじめの出来事であった。

2024年8月1日

photo by kishimoto

(註1)写生に選んだ風車のある公園。当時のままの姿で佇んでいる。