2025年11月『仕事の履歴書 其の2』
2011年3月12日土曜日の早朝、冷たい雨が降っていた。目的地に着く頃には、雨が上がったが、浜名湖を渡った風が猛烈な冷気となっていた。駐車場に着き、玄関に眼をやると、厳しい顔をしたダークスーツの男たちが、次々と入っていく。
昨日、大地震の余波に揺れる東京にいた私に一本の電話が入った。建設会社の社長からであった。内容は、急用なので、明日弊社に来れないかとのことであった。新幹線が運休している旨も伝えたのだが、極力お願いしたいとのこと。「一体、何事だろうと思った」幸い、夕方になると、浜松止まりの新幹線が出るという。その日は、東京から浜松まで5時間を掛け何とか帰宅することができた。
会社の会議室に案内されると、そこには社長はじめ役員、弁護士・会計士・金融機関の面々が座っていた。守秘義務があるから具体的に記すことはできないが、開口一番、社長から不良資産の処分がままならず、会社は資金難となりこれ以上の運営は困難である。ついては、会社を解散したい旨の発言があった。様々な発言が飛び交い、会議は翌日に持ち越された。
持ち帰った資料を基に考えた。如何に会社を残すか?働いている人たちの雇用は?考えに考え抜いた案が湧いた。当時あった「産業再生活用特別措置法」を用いて会社を再生するという案である。翌日の会議で提案すると、いろいろな意見はあったが、私の案が採用され、法的な処理は弁護士・財務処理は会計士・資金面は金融機関、許認可や人事面は私と役割分担が決められた。
私の役割は、建設業法と上記の特別措置法の適用を主管官庁に交渉することにあった。大震災の直後であったから、世の中は騒然としていた。余震も続いていたことから、新幹線も各所で遅延が生じていた。
この会社の所在地を管轄する官庁が、厄介であった。建設業法を扱う部署は、名古屋の国土交通省中部地方整備局。もう一つの法律は、さいたま新都心にある経済産業省関東経済産業局である。国交省に赴き交渉すると「経産省さんが良いなら」と言うから、そのまま浜松を通り過ぎてさいたま新都心の経産省に。担当者曰く「国交省さんがOKなら」とのこと。責任のなすり合いである。何のためにこの法律があるのか?企業を再生し、雇用の確保を図り、もって経済の発展に寄与することがこの法律の目的ではないか。あなた方は、何のために仕事をしているのか。私は、会社で待っている人たちの顔を浮かべながら交渉した。
結論的には、あと1度づつ官庁に出向き、再生の了承を取り付けた。この仕事の醍醐味を味わった瞬間であった。今では、官庁も親切丁寧な機関に生まれ変わっているが、以前は、このような不親切な部分もあったのである。また、こう書いてしまうとカッコいいが、実際は地べたを這いずりまわるような仕事であった。
2025年11月1日

photo by kishimoto

