2025年12月『相対的』というもの

 今年も、あっという間に師走である。時間の長さで言えば、子供のころ長く感じた同じ一年と現在の一年間は同じ長さである。しかし、歳を重ねると時の流れを早く感じる。これは生命の体内時計が早く進んでいるという説もあるが、実際には私たちの経験や意識の持ち方によって「相対的」に感じ方が変化しているからであるという。つまり5歳の子供の一年は、五分の一。60歳の人の一年は六十分の一である。分母(経験)が大きくなれば「相対的」に短く感じるということである。

 そこで一年の締めくくりとして「相対的」について考えてみたい。早朝散歩の途中で、ふと視野に入ってきた景色。人工的に整然と並ぶ屋根瓦、それを支える構造物と、その背後に広がる黄金色の銀杏の樹。無機質な造形と有機的な自然が同じ画面に収まるその光景は、まさに「相対的」という言葉を象徴しているのではないか。冷たさと温かさ、規律と自由、人工と自然。それぞれが対立するように見えて、実際には互いを引き立て合い、この調和を生み出しているのである。

 この「相対性」は組織論にも深く関わる。組織は個人の集合体であるが、個人とは異なる論理で動く存在である。規律と自由、効率と創造性、安定と変化は、いずれも絶対的な価値を持つものではなく、状況や目的に応じて相対的に意味を変える。規則は秩序を保つために不可欠であるが、過剰になれば柔軟性を失い、創造性を阻害する。逆に自由が過ぎれば方向性を見失い、組織の一体感が損なわれる。重要なのは、環境と目的に応じて最適なバランスを見極めることである。

 写真の山門も、単体では冷たく感じられる。しかし、黄金色の銀杏と並ぶことで、その整然さが美しさへと昇華する。これは組織における制度や仕組みにも通じる。制度は人を縛るものではなく、人の営みと調和することで安心感や信頼を生み出す力となるのである。

 年末を迎え、一年の歩みを振り返りつつ、来年への準備を進めなければならない。変化の激しい時代において、絶対的な正解を探すのは、砂浜で“砂糖”を探すようなものだ。むしろ、状況に応じて相対的に「最適解」を見つける柔軟さこそが、組織の持続的な成長を支える羅針盤となるのではないかと思う。一年の終わりにあたり格調高いブログを目指したつもりであるが、まだまだ未熟な文章になってしまった。その未熟なブログに一年お付き合いいただいた方々にお礼を述べて、今年のご挨拶とさせていただきます。

2025年12月1日

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photo by kishimoto