矜持


先日、昨年の衆議院選挙で惜しくも落選した前衆議院議員と話をした。小選挙区では負けた。どこかの党派に属していれば、比例で復活当選できたほどの得票数であった。しかし、無所属であったため惜敗したのである。

彼は、最初の選挙の頃から知っている。私は保守政党の支持者であるが彼は野党である。しかし、みどころがあった。若さゆえに生意気で、鼻持ちならない高慢さがあった。だからよかった。芯のある男だと思った。案の定野党が混乱を極め分裂野合を繰り返し、民主・希望・立憲民主等々変遷していくなかで、彼は無所属を選択し、負けた。人としてぶれないものをもっている。

野党であるが、この国の将来を真に憂いている。野党によくある反対のための反対や体制に影響しない些末なことをことさら声高に言うことが嫌いだと言う。
この国の産業構造が、否世界的にも大きく変わろうとしている。

浪人しているとはいえ、政治家である。この街は、この国はどうなる?産業は?人口は?話を仕掛ける。こういうことを真剣に議論できる政治家が極めて少ない。しかし、彼は真剣に考え意見を述べる。もちろん、誰と議論しても解決策などなかなか見いだせるテーマではないが、真剣に答える。政治家としての有用性を感じる。

現職の会長だった頃、何かの記事に『ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、資本主義が進めば進むほど「精神の無い専門人」が増大し、社会は荒廃すると警鐘を鳴らしている。「精神の無い専門人」とは、まさに職業倫理の欠如を指している。社会的に有用性がなければ、その組織・制度・人材は存在する意味がなくなる。それぞれの分野における専門性の強化と高い職業倫理こそが、社会的有用性を確立し時代を創っていくものである。』こんなことを書いた覚えがある。

しかし、今の政治家に焦点をあててみれば、もちろんそんな人ばかりではないが、「精神のない専門人」どころか、専門性も持っていない。パワハラセクハラのオンパレードであり、野次の飛ばし方にしてもユーモアもウイットも知性のかけらもない。中国や東南アジア諸国の急速な発展にどう対処していくのか?労働生産人口の急激な減少の対策はあるのか?米国との関係はこれでよいのか?今でも従属国家なのか?将来の我が国の国力を占う学術的研究分野が投機対象となり、真に必要性のある学術研究がおざなりになっている。

AI(人工知能)は、我々の予測をはるかに超えた速度で社会に浸透しつつある。
社会的有用性にAIが優れているなら、我々はお払い箱である。それは多くの職業も同様であろう。政治家にも同じことが言える。

今、この社会に必要なものは“矜持”であろう!揺るぎない自信と誇り、職業人としての良心。人としての“矜持”である。

これがあれば、まだまだ日本は・・・。と思うのだが。

平成30年7月1日
アスカ総合事務所
理事長 岸本敏和

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