piano forte

“猫じゃらし”が、揺れている。風と遊んでいるのか、風に遊ばれているのか判らないが草むらで揺れている。季節は夏から秋へのページに替わったようである。気が付けば9月である。子供の頃、特にこの9月1日の朝は、深いブルーであった。憂鬱の海に沈んでいるような気分であった。

40日もあった夏休みが終わり、また学校に行かなければならない。別に学校が嫌いなわけではなかったが、7月中に宿題をすべて終え、あとは毎日の天気を“夏休みの友”に書けばよかった。時間が有り余るほどあった。

毎日がプールや草野球、魚釣り、川遊び、忍者ごっこ等々、遊びの連続であった。塾も夏休みであった。朝から陽の暮れるまで遊んでいた。

気に掛けることは夕陽の落ちる時間であった。来る日も来る日も、縛られることのない時間を楽しんでいた。
それがこの日から一変するのである。すべて、時間通りに進んでいく。起床から夜眠りに着くまで、すべてが時間で決まっている。

天の邪鬼だから、自由でいたかった。時間に縛られるのが嫌いであった。しかも、今朝は登校しなければならない。これが憂鬱の海であった。しかし、私は恵まれていた。久し振りの級友に会えば、互いの夏の思い出話に花が咲いた。“いじめ”とか先生との摩擦も無かった。憂鬱の海から、たちどころに浮上したものである。

先生との再会もそうである。怖い先生もいたが、優しい先生も多かったような気がする。夏休みの“小さな武勇伝”を笑いながら聞いてくれた。特に音大を出たばかりの音楽の先生は、美人で優しいM先生だった。

ビートルズを最初に教えてくれたのもこの先生であった。M先生のピアノ伴奏で歌うと、心なしか自分の歌が上手になったように思えたものである。

ピアノの正式名称を教えてくれたのもM先生であった。「ピアノフォルテ」である。音楽用語で、ピアノは“弱く”フォルテは“強く”。ピアノは、弱くも強くもなる幅広い楽器。元気がなければ“forte”で元気出して、心静かにしたいなら“piano”で優しくと。

これからの長い人生の中で、このことは忘れないでね。ひとも同じで、強さと弱さを持っていることが生きて行く中で大切なことだと。そのことは、私の中でずうっと反芻されながら根付いている。

M先生から教わったこと。学校とは、素晴らしいところである。学校教育があったからこそ、今の自分である。世界には教育すら受けられない多くの子供たちがいる。フィリピンの教育事情を聞いた。小学校には音楽教育がない。当然のことながらピアノの伴奏で歌うこともない。私の住む街は、音楽・楽器の街である。

「だからこそ、フィリピンの小学校にピアノを送ろう!」という人たちに出会った。
これも何かの縁なのだろう。目標は、中古ピアノを2台フィリピンの小学校に送ること。予算は、100万円。これをどうして集めるのか?「クラウドファンディング」という手法があるという。

インターネット上で趣旨・目的等を説明し、不特定多数の方から資金を募るというものである。7月中旬から始めて8月31日が締め切り。ハラハラしながら締切を待つ。念願成就である。目標額を達成したのである。後は、10月の贈呈式に向けて準備の日々となる。

聞けば、子供の自殺が一番多い日は、9月1日とのこと。世界は、ブルーだけじゃなく黄色も赤もピンクもあるし、誰しも弱い(piano)ものだし、強くも(forte)なれるんじゃないかな。でも、“弱い”まんまでもいいんですね。
平成29年9月1日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

忘却曲線

次の記事

扁桃体