忘却曲線

かげろうに道路が揺らいでいる。額から汗が滴りおちる。汗をぬぐいながら駅に着く。乗車予定の電車の発車にはまだ早いが、ホームの階段を上りはじめる。電車到着のベルが鳴っている。もう電車が入って来るのかと思いながらホームに駆け上がる。

構内アナウンスが「車輌が入ってまいります。この車輌は停車後すぐに発車いたしますが、お乗りになることはできません。ご注意ください。」と言っている。なんだろうと思いながら、下り線のレールの遠くに視線を移す。

普通の白とブルーの新幹線ではない。黄色の車体 そう ドクターイエローである。
思わずスマートフォンをカメラに切り替えてシャッターを切る。俄か“鉄ちゃん”である。滅多に見られないものに遭遇した私は、子供のようにワクワクした。思わず“ラッキー”と言ってしまった。

ドクターイエロー 文字通り新幹線の線路や架線の状況・電気信号などのチェックをしている新幹線のドクター車輌である。以前、東京駅で見かけたことはあるが、浜松駅で停車するドクターイエローを見たのは、初めての体験であった。正式名称は、「新幹線電気軌道総合試験車」長い名前である。漢字が長く連なっている語句は、どうも覚えにくい

。しかし、長い語句で思い出したものがある。それは、“東駿河湾工業用水道富士川水管橋“という長い名称である。
この橋の名前は、何年か前に書いたことがある。バックナンバーを捜せばいつ書いたがわかるが、そちらは思い出せない。しかし、この橋の名前はすぐに記憶の中から甦ってきた。

なぜだろう?それは、そのコラムを書いてから、新幹線で富士川を越えるたびに、長い橋の名前を反芻していたからであろう。
繰り返し反芻することで、記憶は定着するという研究がある。「忘却曲線」で有名なドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスの記憶力の実験である。

記憶というものは、どのくらいの時間で忘れていくものかという実験で、20分後には42%、1時間後に56%、1日経てば74%,1週間後に77%、1ヶ月後もすれば79%が忘れてしまっているという結果をグラフで表したものが「忘却曲線」と言われるものである。
したがって、この記憶率が極端に落ちる20分後、1日後に復習をすれば、記憶は定着するという説である。

どおりで“東駿河湾工業用水道富士川水管橋“を書いた頃は、毎日のように新幹線に乗っていたわけであるから、記憶の倉庫にしっかりと刻み込まれたのであろう。このことを子供の頃に知っていたなら、記憶力が落ちる時間を選んで復習をし、記憶容量を増やすことで成績を上げ、違う人生を歩んでいたかもしれないなどと妄想の領域に落ちていく。

私共の世代では、試験は記憶容量が大きく左右するものであり、如何に記憶するかが重要であった。今、我が国の中枢にいる方々は、ほぼ同世代であり、記憶容量の豊富さで成績優秀であり、この国の舵取りをする地位にあると思う。

その記憶容量の多いはずの方々が、獣医学部新設や、学校用地の払い下げの件で、釈明を強いられている。そこでは「記憶にある限り、そのようなことを言った(した)覚えはない」等々の発言をしている。

彼らも本当に忘却曲線の通り忘れたのか。国民の誰もが、本当に忘れたのか?と訝ってはいるが、1週間もすれば忘却曲線の示すとおり、忘れていく。1ヶ月も経てば、誰も語らない。共謀罪も北朝鮮のミサイルもフクシマも忘れられていく。
すべてが何事もなかったかのような日常に戻っていく。この国は何処へ…。
平成29年8月1日

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