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30年前の今日、1995年1月17日は阪神・淡路大震災が起きた日です。偶然のことなのですが今日は私の誕生日でもありまして、9歳になったその日のことはよく覚えています。当時の私は朝に弱く、眠くて眠くて普段の起床は母が何度声を掛けてくれても中々ベッドから抜け出ることができない少年だったのですが、この日は自分の誕生日。自分ひとりでちゃんと起床し、『プレゼント楽しみだなぁ。夜ごはんの後にケーキも食べられるなぁ。』とワクワクしながら階下のリビングに降りていきました。そうしたところテレビに映っていたのは明け方の暗い中、至るところで火事が起きている神戸の街の映像でした。程なくして大きな地震が起きたことに気付いたわけですが、その後も倒壊した家々や阪神高速の映像などテレビに映し出される凄まじいまでの被害の様子に、何だか呆気に取られるばかりでした。学校に登校した後もその話題で持ち切りだったわけですが、『怖い』というよりは、無邪気な子どもの興味の範疇で会話していたように思います。学校から下校し、夜になると祖母が赤飯を炊いてくれ、母がから揚げを作ってくれました。食後にはケーキも食べ、プレゼントももらえました。テレビからは変わらず、地震の被害の様子が流れていました。
この震災では、6,400を超える方が亡くなり、43,000を超える方が負傷しています。当時は感じていなかった『怖い』という感覚は、大人になるにつれ年々増してきたように思います。進学や就職の過程で知り合った方の中に、当時被害に遭われた方々がいたからかもしれません。遠い世界のことではなく、身近なことなんだと気付いていったのだと思います。
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今日の出張の帰り道、ラジオからは大相撲の中継が流れていました。その中で、長きに渡り角界で活躍するベテラン力士へのインタビューコメントが印象に残りました。
『長く活躍する中で、今後の目標は?』と問われたことに対し彼の答えは、『一日、一日、相撲をとり続けること。』
多くの方の日常が突然失われたこの日だから、『そもそも長年相撲をとれることに感謝している』というスタンスに立った彼のコメントが、尚更印象に残ったのかもしれません。
事務所に戻ると、少し手こずっていた更新の許可がおり、新規で申請していた許可が無事におり、新たな関与先のご紹介があり、関与先様からの新規業務の相談があり、と立て続けに嬉しい業務の話がありました。何だか、プレゼントをいただいてしまったような気持ちです。皆様からお任せいただけることに感謝して、一日一日、日々の業務を着実に実施していきます。
岸本一輝