2025年5月②『仕事の履歴書その1』

 1980年、27歳になった私は、今の事務所を始めた。当時、生後3か月の長女がいた。家人に事務所を始めたいと言うと、「大丈夫。家計は心配するな。何とかなる」の声におされて開業した。仕事の当てもなかったが、二人の社員を雇っての出発であった。社員がいれば、給料を払わねばならぬ。だから頑張らなければならないと、自分を追い込んだ。そう言えば恰好がいいのかもしれないが、本当はひとりでは不安だったのである。今でこそ、人様に「経営理念」だの「経営計画」などをきちんと作りなさい。と言っているが、当時は何もなかった。

 ただあるのは、はるか遠くにぼんやりと輝く光を感じていた。その光を追いかけて行けばなんとかなる。そう思っていた。当時、ベストセラーになっていた司馬遼太郎の『坂の上の雲』に触発されたのかもしれない。坂の上の雲を追いかけて来たように思う。兎に角、お客様を増やさなければ給料も払えない。そのためには、名前を憶えてもらわねばならない。いろいろな人に会った。いろいろな会合に顔を出した。何処に行っても最年少で、雑事もやらねばならなかった。雑事をこなしているうちに、書類の作成の依頼も受けるようになった。和文タイプライターを3年のローンで買った。

 そのうちに仕事が増えて、5年も経過すると、社員も8名ほどになった。みんな、残業も厭わずによく働いた。夜10時に仕事が終われば早いほう。日付が変わる日もあったし、徹夜の日もあった。しかし、社員は若く、元気で楽しく仕事をしていた。毎日が宴会のように過ぎていった。ワープロが出てきて、タイプライターの出番は少なくなった。パソコンが出現するとタイプライターは事務所の隅で埃を被っていた。しかし、事務所の黎明期を共に戦った戦友を処分するには忍びなくて、いつしか倉庫に保存することにした。

 あの頃は、ちょうどバブル崩壊の時期にあったが、社会はエネルギッシュであった。なんでもありの時代だった。頑張れば結果がついてきた。そんな時代を過ごしてきて、今思うこと。世の中が安心・安全な社会になっている。それはとても良いことだと思う。確かにハラスメントはあってはならないし、差別もいけない。それはそれでよくわかるが、仕事とはそういうものだろうか?冷汗をかいたり、泣いたり悔しかったりする上で掴み取ることも多いはず。そうやって人は育っていく。それが仕事の持つひとつの意味だと思う。過去を賛美するつもりはない。昔が良いとも言えない。しかし今、仕事が楽しいか?そんなことを気が向くままに、時々綴っていこうと思う。宴の後に。

2025年5月6日

現在の画像に代替テキストがありません。ファイル名: タイプライター.jpg

photo by kishimoto