2026年2月『組織の空気』
少し真面目な話をしよう。新年早々、残念なことがあった。浜岡原子力発電所の再稼働をめぐる事件である。私は、ここで原発稼働の是非を論じるつもりはないが、このような企業体質では、そもそも再稼働云々を言う資格はないのではないかと思う。
浜岡原発の再稼働に関する原子力規制委員会の審査に関して、中部電力が提供した「耐震データ」に不正があった。再稼働の前提となる安全審査において、地震の揺れを意図的に小さく見せる操作が行われていた疑いが明らかになった。
このような不正は、当然外部からは知る由もない。不正の発覚は、内部の心ある人からの通報であろうかと思う。内部告発というのは、やむにやまれぬ心情の持ち主からかとも思う。企業は、内部統制やコンプライアンスを頂点に組織の体制やリスク管理をしているはずである。それでもそこから重大な逸脱が生じるのはなぜだろう。この問いは、業務として法務に携わると共に、企業の組織運営にかかわっている私にとっては、永遠の問題である。
企業を動かしているのは人である。その人を動かすのは「仕事の仕組み」である。仕組みは出来ている企業は多い。しかし、不祥事は後を絶たない。それは、仕組みはできているが、それが動いていない。会議体と現場が乖離している。
内部統制が掛け声だけで形骸化している。チェックシートはすべてチェックされているから大丈夫。そこに慢心が生まれ、真実が見えなくなっていることもあるだろう。
大切なのは、「組織の空気」ではないかと思う。「組織の文化」と言ってもよいかもしれない。「波風を立てたくない」「発言しにくい」「達成しなければならないタスクだから」というような空気が個人の倫理判断をいかに容易にねじ曲げるか。今回の事案も、まさにその典型といえるのではないか。
企業が不祥事へとすすむ分岐点は、ここが分岐点とはっきりしていることは少ないのではないだろうか。日々の小さな“見逃し”や“妥協”が積み重なり、気づけば組織全体が逸脱を許容する方向へ傾いていく。内部統制が機能しなくなる分岐点とは、「誰も止めようとしない」「止められない」状態が常態化したときである。
内部統制は、書類や会議ではなく、人の意識と組織の空気が重要である。制度を整えるだけでなく、現場が声を上げられる環境、異論を歓迎する文化、そしてトップが透明性を重んじる姿勢を示すこと。これらが揃って初めて、内部統制が活きてくると思う。
あらためて、今回の中部電力の不祥事を単に他社のことと捉えずに、自分事として考え、自分たち自身の組織運営を見直す機会としたい。

2026年2月1日
phto by kishimoto

