扁桃体
蒼色と緋色が、せめぎ合っている。蒼は青になり藍になる。緋は紅になり朱になる。夜色の世界が来る前に、空は一日の終わりを告げるようにあがいている。息を忘れるような美しさもあるが身震いするほどの恐怖も覚える。これからやってくる冬を前に、暮れゆく光が精いっぱいの抵抗をしている。
しかも、日没後のわずかな時間が藍と朱の闘いとなり、刻々と心変わりする空となる。人を立ち止まらせるには、充分すぎるほどの彩りである。ひとりで見るには淋しすぎる。誰か一緒に眺めて欲しい。
しかし、人の心の中までは判らない。この夕空の彩りを綺麗と感じるか、寂しいと感じるか。となりで眺めている人は“美しい”と感じているらしいが、私は、“寂しい”と感じてしまうようだ。“怖い”と思うような時もある。それは、感性の問題だと片付けてしまえば簡単なことであるがどうもそうではないようである。
脳の中央下部にある“扁桃体”という直径1.5cm程の神経細胞の集合体に原因があるようである。別名「情動の発電装置」と呼ばれ、情動=感情を発している装置である。自分の好き嫌いや、快・不快を判断しているようである。危険や危機を感じるとストレスホルモンが分泌され、筋肉が活動し、すばやく動けるような装置である。
不安などの感情が大きくなると冷や汗や震えなどを引き起こし、嬉しいこと楽しいことを感じると、体が軽くなるような作用をするため「情動の発電装置」と言われているらしい。
三年程前に、メニエール氏病と宣告され、憂鬱な日々を送っていた頃、医師から気持ちを明るく保たないと、回復は難しいと諭されたものであるが、私の扁桃体は憂鬱という感情を溜め込んで、どんどん鬱のスパイラルに落ち込んだようである。どうすれば、扁桃体を鍛えることができるのか?
軽い運動をすることや感情を押し込まないで表に出すこと。落語や漫才を聴いて大笑いすることも扁桃体には良いそうである。
そう聞けば“慌て山“の私である。早速、早朝からのウォーキングを始める。
季節の変化、川の流れ、風に揺れる木々。頬をつたう汗、心地よい風、新しい景色の発見等々に感動しているうちは良いものだが、そのうち毎日の距離数を記録するようになり、雨降りでウォーキングができない日など、いらいらするようになる。多少体調が悪くても無理して朝出掛けるようになる。そして、ある日とうとう腰を痛めてリタイア。整形外科通いが始まる。
腰痛の日々が続く。治らない治らないと、のたまう。
医師に再び言われる。「ものごとを明るく肯定的に捉えないと悪化しますよ」と。
扁桃体を鍛えるために頑張ったのであるが、そもそも“頑張る”ことが、間違っていたようである。気にしないで、笑って生きよう!
ところで、ウォーキングが体に負荷を掛けるなら、スイミングにしようかと思うが、如何なものであろうか。
平成29年10月1日