あおによし

春を前にした小路は、寒いのか、暖かいのか。入替り立代りで交差していた。ちょっと早いペースで歩けば汗ばむ。風が吹けばヒンヤリした空気が背中をなぞっていく。ずいぶん歩いてきたような気がする。その平地はあてどもなく続いているように見える。それは、娘のほんの一言からだった。たまの休みを利用して、久し振りに奈良に住む娘を訪ねた。「

平城宮跡って行ったことある?ここから20分で歩いて行けるよ」その言葉に、つい誘われてしまった。
確かに20分ぐらいで平城宮跡の端っこには着いたが、何しろ広い。やたらと平らな土地が続いている。遠くに朱塗りの門が見える。これは以前見たことのある朱雀門であろう。

その対面に・・。と言ってもかなり離れているが同じような朱塗りの大きな建造物が見える。取り敢えずその建造物まで行こうと思う。地面も広いが空がとてつもなく広い。

周りに建物や構築物がないせいか、空と大地しかない空間が広がっている。私の住む街の空とは明らかに異なる。しかも、晴天でどこまでも青い。それも深い青である。
途中案内標識を見ながら、平城宮跡を歩く。道路より一段高くなったところに佐伯門跡の小さなプレートを見つける。ここでやっと私の頭の中のネットワークが繋がった。先ほどから空の青さに感じ入っていたが、青から連想する“何か”を忘れていた。空海である。“青の時代空海”という記事を何かの雑誌で読んでいた。

空海は、唐に渡る前の7年間この地で勉学していた。しかも、平城京内にある佐伯氏の住いに身を寄せていたのである。ならば、この佐伯門跡というのが空海の住いのあったところであるのか。
心は、一息に1300年という時空の彼方に飛んでいく。

確か、空海は讃岐佐伯真魚(さぬきさえきまお)が本名。親戚縁者となる平城京の高官である佐伯氏を頼って四国から奈良に来たはずであった。我が家の宗旨は、真言宗である。亡くなった母は、熱心に空海=弘法大師を信仰していた。ここで空海に出会うとは、母が引き合わせた縁であろうか。

気が付けば、長くなった陽も傾き始めている。先を目指そう。
佐伯門跡をやり過ごし、朱色の巨大建造物に眼をやる。何もない空間に朱色の建造物は、遠目にも目立っている。白梅が所どころで咲いている。「あおによし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」万葉集の歌が浮かんでくる。

中学生だったころ、“あおによし”は奈良にかかる枕詞と習ったことを忘れていた。奈良は、やはり青なのである。そんなことを思いながらようやく建造物の前に立つ。とっくに閉館時間は過ぎ、中に入ることはできない。しかし、大きい。第一次大極殿と言うらしい。重要な国家儀式に用いる建物であるとのこと。

1300年前の巨大建造物に驚きつつも、どうやって帰るのかと思うほど遠くまで来てしまった。歩数計を見れば優に1万歩を超えている。「あおによし奈良の娘と久かたのうましうるわし酒盛りなり」家路を急ぐとしよう。
平成30年4月1日

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