風薫る

今年の春はあっという間にどこかに行ってしまった。いつもより早く桜が咲き、いち早く春の訪れを感じさせたが、5月の連休に咲き誇る街路のツツジも、4月の終わりには散っていた。新緑も真夏のような繁りぐあいとなり、もう既に全国的に真夏日を記録している。
春を飛び越して初夏が来たようである。空も風も夏の匂いである。寒さの冬に心待ちした暖かさを越えて、もはや暑い季節である。季節の急変に体がついていかない。

若い頃と違って細胞の再生速度が遅くなっているのだろう。体のあちこちが気になるし、不定愁訴というのか、元気が出ない。はた目には元気そうにみえるのだろうが、この季節は寒い冬を耐えてきて電池が切れたような倦怠を覚える。世の中を見渡しても、官僚の不祥事やら政治家のだらしなさ、加えて“Me too”と我も我もセクハラ・パワハラの話題ばかりである。もちろん重要な問題ではあると思うが、もっと大事な課題が我が国には山積しているわけで、それらの議論は何処に行ってしまったのだろう。余計にアンニュイな気分になる。

煙草の害が取り上げられて久しいものであるが、関西のある市役所が喫煙後、45分経過しないと、庁舎内のエレベーターに乗ることを禁止した。喫煙後45分間は呼気に有害物質が含まれているから、受動喫煙になり健康被害が想定されることからの措置らしい。長いこと喫煙者だった私は、多大な迷惑を周囲にまき散らしていたわけで、身の細る思いであるが、この誌面をお借りしてあらためて謝罪したい。

しかし、ふと思う。煙草の害も重要なことには違いないが、もっと深刻な課題があるはずである。ご記憶の方も多いと思うが、2020年のオリンピック・パラリンピックの招致合戦で、我が国の首相が、フクシマは完全に“under control”されており、放射能の心配はない。と云った発言である。本当に放射能は管理下の元にあるのか?新聞の片隅に時折掲載されている

記事を見る限り、放射能は依然として漏れ続けていることがわかる。
受動喫煙と放射能被害、程度の重さを論じているのではない。誰がみてもアメリカの国力には敵わない。そんなことは、太平洋戦争の前、アメリカから輸入される物資の性能・品質・多様性をみれば判っているはずだった。しかし、我が国には神風が吹くからと、現実を直視しないで無謀な戦争に突入してしまった。時の政府が悪い。

軍部が悪いと言うが、それを看過してしまった国民にも責任があるように思う。物事の重要性は判っているものの、ある一種流行のような課題にぶつかると他のことは忘れて、そのことに夢中になってしまう国民性。考え過ぎか?倦怠を伴う憂鬱な心理状態が続いている。
メールの受信音が鳴り、我に返る。

知人のカメラマン氏が“青空に泳ぐ鯉のぼり”の写真を送ってくれた。“風薫る五月”にあっというまに倦怠を忘れ、子供の頃にインプットされた“鯉のぼり=祭り“と、そのことだけに脳細胞が染まる。家人が「まだ喪中でしょ。」と言う。仏壇に掌を合わせ、藍染の袢纏を羽織ろう。
平成30年5月1日

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