漂流する我
草の匂いがしていた。梅雨が近いのだがその日は晴れていた。そのうえ風が強く砂ぼこりが舞っていた。今日は家庭訪問の日だから、いつもより授業は短縮で終わった。これ幸いにとランドセルを放り出し、友達と野原で遊んでいた。日が暮れるころになるまで草の匂いの中にいた。帰りの道沿いの家々から夕餉の匂いがしていた。「腹減ったぁ」と玄関を開ける。お袋が仁王立ちになって立っていた。先ずは帰りが遅いことを叱られた。
そのあと一瞬の間もなく「今日、先生が来て注意された。キシモト君は本を何も読まない。これではだめだから、本を読ませてください!」「図書室の貸し出しカードも白いままだし・・・。もっと本を読むように指導して!」と言われたと。
「マンガなら読むけどね」「マンガは本ではない!」と言う問答が続いた。しかし、次の日には親父が週刊少年漫画誌を買ってきてくれた。具体名を言おう。「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」の3冊である。これは面白かった。
弟と奪い合うように毎週読んだ。これが、私の頭の中に読書というスイッチが入った小学3年生の時だった。活字の面白さに取りつかれ、学校の図書館に入りびたりになった。
6年生の時には、借りた本の数で学年一番になり、みんなの前でほめられた。“なんとかもおだてりゃ木に登る“である。余談だが教育の基本は、誉めることにあると思う。なぜならそこから、本に対して“ヤル気”になったからである。
高校生から大学にかけては、世間は左翼運動が盛んであった。負けじとばかりそういう類いの本にかぶりついた。
「ヨーロッパに幽霊が出る~共産主義という幽霊である」という冒頭で始まるマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」には度肝を抜かれた。時代は太平洋戦争の傷跡から立ち直り、経済成長が直線的に伸びている時代であった。何もかもが上意下達で動いていることに当時の学生は、反抗していた。
革命を夢見る世代であった。髪を肩まで伸ばし、無精ひげをたくわえ、よれよれの上着にジーンズ。革命家気取りで社会を、世界を憂いていた。しかし今考えれば、それはひとつのスタイルであり、ポーズであった。多分に一過性のものだった。それからはありとあらゆるジャンルの本に向かった。フロイト、ニーチェ、太宰、坂口安吾、司馬遼太郎は言うに及ばず池波正太郎等々上げればきりがない。
ここ最近は、新型コロナウィルスに触発されたものが多い。
先月は数十年ぶりに本棚からカミュの「異邦人」を引っ張り出した。ついで同じくカミュの「ペスト」。現在でも十分通用する内容である。あらためて新型コロナウィルスへの対処法が問われた感があった。
このパンデミックで閉塞する時代に、我々が如何に生きたのか?何をしたのか?しなかったのか?次の世代はそれを検証するだろう。日本人のほとんどが経験したことのない世界にどう向かったのか?今まさに試されているのであろう。
しかしながらその時々の時代に流されて生きてきた私だから、これからも流れに抗がうことなく流れていくことだろう。
多くの本を読んで、さぞかし知識は蓄積されたかと思うが、忘れ去ったことのほうが多い。残っているのは、本の数だけである。しかし、オンラインで研修や打ち合わせをすることが多くなった今日この頃では、カメラの背景に本棚が使える。読書してきたことが役に立った。世の中に無駄なことはないと・・・。そうして今日も流れていく。
令和2年6月1日