白蝶草

昼と夜の時間がほぼ同じと言われる秋分の日が過ぎた。夜明けは確実に遅くなっている。そして日の暮れはというと「秋の日のつるべ落とし」と言われるように、あっという間に夜の帳が下りてくる。(“つるべ”と言っても分からない人が増えていると思う。井戸に落として水をくむ桶のことであるが、井戸そのものを見なくなった現在においては死語に近い)まあ、いずれにしても季節は移ろいで行く。街路樹はその葉の色を変え、次の春に備えて散り始める。感傷的な感じの風がまとわりついてくるように感じる。

そんな感傷的な領域に引き込まれるのが嫌で、手元にあった科学雑誌をめくってみる。太陽の寿命に関しての記事に目が留まる。その記事を要約すると、太陽の寿命は約100億年であり、先ほどの「つるべ落とし」で沈んでいった太陽は、誕生から50億年経過しているらしい。ということは後50億年で寿命が尽きるらしい。太陽は1億年に1%ぐらいの割合で熱量が拡大し、後5億年もすると海水はすべて蒸発してしまい、すべての生物は滅んでしまうという。

そして50億年後には赤色巨星という超巨大な燃える星となり、周りの惑星(水星、金星はもちろん地球も飲み込まれる可能性もある)を飲み込んで大爆発を起こし、太陽と惑星が誕生する前のガスとチリになってしまう。それが太陽の最後だという。

 ここまで読んで、よけいに物憂げな気持ちになってしまった。感傷的な風から逃れたかったはずなのに・・・。5分先も人の寿命はわからないのに。誰もそんなに50億年も生きられることはあり得ないのに。地球自体が消滅してしまうことに、軽い目眩を感じてしまった。人類が営々と築いてきた文明も技術も芸術も消滅してしまうことに。そんな途方もない悠久の彼方のことまで思いを巡らせる私はどうかしているのか?きっとどうかしているのだと思う。目の前にある課題や問題を解決しなければならないのに、遥かな時空に眼を向けてしまう。

やわらかな早朝の陽光が窓から差し込んできた。まだまだ元気な太陽に向かって昨日無事に過ぎたことに感謝の掌を合わせ。さあ、出かけよう、朝の街を歩こう。未来を憂うよりは今日をどう生きるかである。若かりし頃、海軍の軍人だった亡父によく言われた。
「明日あると思うなわが命、今日に最善を尽くせ」と。「楽しい人生を送るのではなく、楽しく人生を送ることだ」と。

 さあ、楽しく人生を送るために、ウォーキングシューズを履いて外に出る。ひと月前とは違って、爽やかな風が流れている。近所の庭や空き地、街路の片隅に秋の花々が咲いている。ふと視界に可憐な花が入ってくる。雑草が茂っている空き地の一角に、群生している。思わずスマートフォンを出して、シャッターを押す。もちろん花の名前などわからない。しかし、便利なものがある。グーグルレンズというアプリである。花の写真をこのアプリで検索すると、瞬時に花の名前が出てくる。「白蝶草」というお洒落な名前である。

 花言葉は、他の花に負けず劣らずたくさんの可憐な花をたくさんつけることから「負けず嫌い」であるという。花の寿命は3日。長雨に耐え、酷暑の夏を乗り切って、花を咲かせる。遠い未来に思いを馳せるより、今日を生きろ。そう白蝶草が教えてくれた。今朝は素晴らしい出会いがあった。
今日もベストを尽くそう!!

皆様にとっても、今日という日がより良い一日でありますように。

令和2年10月1日

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