陽は曻る
窓を開けると駐車してある車のフロントガラスが凍り付いていた。列島を日本海寒帯気団収束帯という舌を噛みそうな寒波が襲い、極寒の年越しであった。年が明け新しい手帳を開く。いつもは新年会等の予定がいくつも並んでいたが、今年は皆無である。例年の12月は忘年会ラッシュであったが、昨年はひとつも開催されなかった。年の瀬のあわただしい雰囲気もなく年を越えた。
それでも新年を迎えることができた。先ずはそのことに感謝をしなければならない。年を越えることが当たり前のように思っていたが、歳を重ねたせいか明日という日が当たり前に来るとは思えなくなってきている。日常だと思っていた日常が消えてしまった。人波に揉まれることもなくなり、灯の消えた夜の街に静寂だけが漂っている。
昨年暮れにショッキングなニュースを耳にした。英国の医療調査会社が発表した世界各国のコロナ感染症の収束時期を予測したものである。わが国の収束予測時期は、2022年4月ごろだという。先進国の中で最下位である。現在30万人以上の死者が出ている米国の収束時期が一番早く今年の4月であり、隣国のカナダは6月。先進国のほとんどが遅くとも年内には収束するという。理由はいくつかあるが主な理由は、ワクチン接種の遅れが、わが国を最下位にした理由であるという。
今年の冬もこれからが本番であるのに、更にもう一冬越えなければならない。ウィズコロナという言葉に馴染みたくない。しかし、ウィズコロナである。日常が日常でなくなり、非日常が日常になっていく。未来は誰もが見通せないものであるが、こんなにも混沌とした時代は、今までの私の人生にはなかった。
だからと言って、この時世に抗うこともできない。どうすることもできない時世である。しかし、生きていかねばならない。世界には、コロナ感染だけでなく貧困や飢餓、紛争の絶えない国や地域がある。私たちの国は、幸いにもミサイルが飛んでくるわけでもなく、爆弾が落ちてくるわけでもない。
そう考えれば悲観することなく。あきらめることなく日常を取り戻していかなければならない。
ウィズコロナを乗り越えよう。町並みから公園から、家庭から、笑い声が溢れる日常に!顔と顔を合わせて仕事のできる日常に!恐れず、怯まず、細心の注意をし、自分でできることを粛々と、足元を固めて牛歩のごとく確実に前を目指したい。
そう今年は丑の年である。この“丑”という文字は、「草木の根が“紐“のように絡み合い、春を待って耐え忍んでいる様子」を表しているそうである。そういうことであれば、今年は耐える年、あるいは芽が出る前の助走期間とも考えられる。耐える時。助走の時。日常を取り戻す時。どんな時も陽は曻る。湖面を黄金色に染めて、新年の陽が昇ってきた。復活の新しい年の始まりである。今日ここに在ることに感謝して、今年のスタートを切ろう!謹賀新年。
令和3年1月1日