「俳句を詠む」

 長雨の後の酷暑が終わった。いつの間にか蝉の鳴き声は消え、秋の虫が鳴いている。
夜空を見上げれば、天頂には”夏の大三角形”が名残り惜しそうな顔で佇んでいる。

 東の方向には”秋の四辺形”のペガススとアンドロメダが見えている。さらにその北側には・・?    
星座の名前が出てこない。急いで、本棚の片隅にしまっておいた星空の本を探す。しかし、いくら探しても見当たらない。

 先日あまりにも多い書籍を一部廃棄した。ひょっとしたら、その中に紛れてしまったのかもしれない。書籍類が我が家を侵略しているため、400冊あまりを思い切って処分した。実際のところ、まだその数倍はあるのだが、スペース確保のため更に処分しなければならない。本好きの私にとって、とてもつらいことであるが、いわゆる断捨離も必要なことである。
(欲しい方がいらっしゃれば、もちろん喜んで差し上げます)

 一説によると、言語や計算は脳の左側、音楽や芸術は脳の右側がつかさどっているという。そういうことでは、私は左脳人間なのかもしれない。言葉というか文字に関心が行ってしまう。子供のころ、少し吃音があったせいかもしれないが、語彙の豊富な人にあこがれてしまう。淀みなく滑らかに話しができる人になりたいと思って、多くの本を読んで語彙を集めたのかもしれない。

 そんなことを考えながら再び本棚に眼をやる。俳句集があった。これは自分で買い求めたものではない。昔、お世話になった方から頂いた句集である。その方の自費出版のものである。パラパラと開いてみる。なかなか面白い。

 5・7・5の世界に様々なことが凝縮されている。すごい言葉の世界が拡がっている。しかも季語の多さにあらためて驚いた。季語を覚えていくだけでも大変なことである。
何か俳句を詠んでみようかと考えるが、なにも浮かんでこない。浮かんでくるのは誰もが知っている芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢のあと」くらいである。

 しかし、もう一句浮かんできた。「友達の いる教室の あたたかさ」・・・なんだこれは?
 これは、今は一児の父になった息子が、小学校低学年の頃にペットボトルのお茶のメーカー○○園の俳句大賞に応募して賞を取ったときの俳句であった。確か、賞品で大量のペットボトルが送られてきたことを記憶している。モノを頂くと覚えているのは、いささか顰蹙ものであるが、俳句を詠んでみようと思い、再び句集に眼をやる。

 心に浮かんだ情景や写真・絵画などを見て俳句を作るとよいと書いてある。早速スマホを取り出して、写真を見る。先週、湖畔に散歩に行った時の写真が出てきた。薄紅色に染まった夕暮れの湖面に佇む釣り人の写真である。

 そこで、柄にもなく俳句を詠む
「竿ひとつ 水面(みなも)に浮かぶ 秋の雲」
「薄紅の 雲めがけつつ 竿投げる」
「秋夕の 一番星に 竿立てる」
「夕食に 間に合うかな 太公望」
 
お粗末でした。

令和3年10月1日

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