「雨水の後に」

雨に雪が混じりみぞれになっていった。2月の冷たい雨が降っていた。季節は”雨水”である。空は暗く物憂げな時間が流れ、ニュースは連日ロシアのウクライナ侵攻を伝えていた。ロシアにはある種のあこがれがあった。中学生から高校生になろうとしていたころ五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」に衝撃を受けた。見果てぬレニングラード、モスクワ、東欧の街が頭の中に浮かんできて、ソ連(ロシア)に行きたいと思った。根拠などなにもないが、そこには人生の悲哀とロマンがブルースとジャズの調べに溶け合っているように感じた。

やがて進学し、髪を肩まで伸ばし、よれよれのTシャツとジーパンになり、文学青年気取りでロシア文学にはまり、ますますソ連への思慕が大きくなった。マルクスの「資本論」を小脇に抱え、わが国資本主義経済のあり方に懐疑的になっていった。

当時、米国は泥沼化するベトナム戦争から抜け出せないでいた。北ベトナムの後ろ盾にはソ連がいた。ベトナム戦争は米ソの対立であった。有無を言わせず前線に駆り出されるソ連の兵士、ベトナム解放と言いながらベトナムを焦土化するソ連。

そのころから、共産主義に疑問を持つようになっていった。自由のない共産党独裁の政治。クレムリンから始まる恐怖政治。今、クレムリンの主であるプーチン大統領がKGBを志望した頃だろうか?いずれにしても私のモスクワへの思慕は、あっけなく散っていった。

その当時、流行った歌がある。ボブ・ディランの”風に吹かれて”である。反戦歌として世界中を駆け巡った曲である。当時多くの若者は口ずさんでいた

Yes, and how many times the cannon balls must fly                                                                  (どれだけ多くのミサイルが飛び交えば)                                                                                Before they’re forever banned?                                                                                          (永遠に撃つことを止めることができるのか?)                                                                                        The answer, my friend, is blowing in the wind                                                                   (その答えは、友よ!「風に吹かれて」いる)訳著者

雨は、相変わらず降っている。雨に打たれ風に吹かれて白梅が必死に春を迎えようと花びらを散らさぬよう、蕾を守ろうと抱えている。雨水の季節も過ぎ去ろうとしている。彼の地ウクライナにも雨水の後に春が来ることを願う。戦争は、全てを破壊し何ひとつ生み出さない。政治は為政者のものではなく、そこに暮らす人たちのためにあるものである。クレムリンでほくそ笑んでいる人たちに、同じく当時のベトナム戦争反戦歌、谷川俊太郎作詞 高石友也唄「死んだ男の残したものは」をお送りしたい。

“死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども 他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった”                                                                                                  “死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙 他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった”                                                                                                     ”死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった“

もうすぐ終わる雨水の後に、キエフの春を!

(文中敬称略、ソ連はソビエト連邦の略)

令和4年3月1日

岸本敏和

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