「早朝の満月」

「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」

読み方は、「むじょうじんじんみみょうのほうは ひゃくせんまんごうにも あいおうことかたし われいまけんもんし じゅじすることをえたり ねがわくは にょらいのしんじつぎをげしたてまつらん」である。

 昨日の夕食に何を食べたのか?即座に思い出せない時があるのに、突如として何の脈略もなくこの言葉が頭に浮かんできた。昨日の昼食を取ろうとしたときである。いささか自分の頭の構造がどうなっているのか?心配になる。

 この言葉は、私が幼稚園のときに園長先生から習った言葉である。昼食を取る前に必ず唱和したものである。私が通った幼稚園は、お寺さんが運営する幼稚園だった。4月8日のお釈迦さまの誕生日”花まつり”には、園庭にあるお釈迦さまに水を掛けて手を合わせていた。

まあ、それはさておき、突然浮かんできた冒頭の言葉の意味はなんであるのか?あらためて調べてみると”開経偈”というお経で、多くの宗派で様々なお経を唱える前に唱える言葉だという。その意味するところは「尊い釈迦の教えにめぐり合うことは、百千万年という長い年月の中でもなかなか難しいことです。私は今、その仏の教えに出会い、受けることができました。そして、その教えの真の意味を理解し身に付けたいと心から願うものです」これが分かっていたなら、もう少し賢くなれたのだろう。

 しかし、意味も分からないまま数十年経った今でも、頭の中に在る。幼少期の頃から頭の中に刷り込まれれば、それは一生涯のものとなる。三つ子の魂百までというが、宗教教育の凄みを感じる。

 アフガニスタン・ミャンマー・ウイグル自治区等々、世界各地で紛争が多発しているが、その根本にはそれぞれの宗教がある。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等、唯一絶対の神を崇拝する大宗教がある。紛争の原因はさまざまであるが、根底にはそれぞれの宗教が大きく影響している。同類しか認めない。自分たち以外の異物は排斥する。米国の大統領選挙にすら信教が大きく影響している。生まれたときからその宗旨を教えられ、自分たちがすべて正しいと教育される。

 キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、大みそかには寺院の鐘の音を聴き、元旦には、俄かに氏子となり神社にお参りする。一週間の間に三回も柔軟に変わってゆく。

 わが国は、山の神・海の神・川の神とあらゆるところに神があり、自分の家が真言宗であっても隣人の宗教は気に掛けない。違うことを排斥しない。

 古来よりわが国は、倭の国と呼ばれていた。倭とは「素直で優しく人の話をよく聞く」という意味である。「倭」は、やがて「和」となり、聖徳太子が17条の憲法の中で「和をもって尊しとなす」と言ったのは「和やかな中でとことん議論することが大切である」ということである。日本の立ち位置は、こういうことを世界に拡げていくことではないかと思う。夜が白んできた。夜明けである。早朝に起床しこの稿を書いていたが、空には早朝の満月が・・・。思わず手を合わせる。今年が平穏な年でありますように。

令和4年2月1日

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