2026年4月『サクラサク』

 3年前の秋。毎日仕事に追われる中で、ふと思った。歳を重ねるたびに頭も体も老朽化している。クリアな言語が出てこなくなり(若い頃からクリアではないと言われればそれまでだが)簡単な漢字でも忘れてしまうことがあった。このまま朽ち果てると思うと、ゾッとした。

 そこで言葉を学習するため、学び直しをしようと3年次編入で一昨年の春、再び大学の門をたたいた。今までに学習したことのない世界に戸惑いを感じながらも、楽しく、苦しく、冷汗、脂汗をかきながらなんとか卒業をすることができた。社会に出てから50年近く経ってからの“学生生活”は、想像以上に過酷で、想像以上に刺激的で、そして想像以上に豊かであった。

 若い学生たちの柔らかな感性や個性に驚かされ、私は、“昭和のおじさん”を痛感させられた。課題のレポート提出では自分の語彙の乏しさに打ちのめされ、夜中に何度も書き直しをした。なぜこんなに苦しまなければと思いながらも気がつけば、そのすべてが心地よい痛みだった。老朽化したと思い込んでいた頭は、実はまだ使い方を忘れていただけだったのかもしれない。と思う時もあったが、経年劣化した頭の歯車は、相変わらずギシギシと音を立てていた。

 卒業証書をいただいたときに思った。「終わった」という安堵感よりも、「もっと学びたい」という欲求の方が強かった。学びとは、若者だけの特権ではない。年齢を重ねたからこそ見える景色があり、理解できる言葉があり、沁みる一文がある。大学での時間は、そんな当たり前のことを改めて思い出させてくれた。

 そして私は、気づけば大学院の門を叩いていた。合格発表の日、受験番号を探した。ところどころ受験番号が欠落している。ドキドキしながら探した。「あった。合格。サクラサク!」若い頃「サクラチル」を経験した私は、思わずガッツポーズをしていた。どうやら私の中の“昭和製エンジン”は、まだ止まる気がないらしい。ギシギシと音を立てる頭の歯車も、油を差せばまだ回ると信じてみることにした。

 新しい学問、新しい仲間、新しい課題、新しい先生。想像するだけで背筋が伸びる。ただ一つだけ心配なのはまた夜中にレポートと格闘する日々が戻ってくることである。願わくは“ギシギシ”でも“Slow”でも、この未知の荒野を走破することである。

2026年4月1日

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phot by kishimoto