「地・水・火・風・空」

 動乱の時代を生きた戦国武将の名前が付いた駅を降りる。底冷えはするが風はない。時刻表を確かめもせずにバス停に着いた。バス停の時刻表を見れば1時間に1本の運行である。次の便までまだ40分余り。次のバス停まで歩くことにした。

 まっすぐな道が続いている。歩道の横は車の往来が激しい。時おり後ろを振り返りながら歩いていく。いくつのバス停を過ぎたのだろうかようやくバスが来た。バスに乗ること約10分。目的地が目の前にあった。

 土塀が続いている。海馬の奥底にある記憶が蘇る。50数年前に見た光景である。土壁の中に瓦が組み込まれている。壁の強度のためか?それとも美観のためか?今ならそう想うが、当時はただ古臭いと感じただけだった。

 感染症の影響からか、行き交う人もまばらである。土塀に沿って歩くこと数分、空を覆っていた雲が切れはじめ、青空が拡がってきた。その空の下、やっとその姿がみえてきた。五重塔である。創建は607年、途中焼失したものの7世紀に再建、今日に至る。日本最古の木造塔建築である。

 塔の真下で見上げる。威圧感はないものの大きな”存在”を感じる。五重塔の持つ意味を聞けば、塔は”ストゥーバ”と言い、お釈迦様の遺骨を納めるためのものであるという。“ストゥーバ”と聞いて、故人の法要などのときに墓石に立てられる木製の卒塔婆につながっていることを知ったものである。

 五重塔の各層は、下から地・水・火・風・空の五つの世界を表しているという。地は大地を意味し動かないこと。水は流動的に変化すること、火は情熱、風は自由、空は虚空を表現しているという。生きていく上で必要なことがすべてこの五重塔に込められていることが判る。卒塔婆も同じ意味である。そういえば今月には母親の祥月命日が来る。卒塔婆の汚れを拭おうかと思う。

 この塔を幾多の人が見上げたのか。様々な思いで掌を合わせた幾多の人がいたのか。塔は1300年という悠久の流れの中で静かに佇んでいる。多くの悲しみ、喜びを見てきたのだろう。いつの時代も風は吹き、雨は降り、陽は照り陰り。人々の営みも変わることなく繰り返されてきた。そして今、白雲はたなびき、また流れ、今年も暮れていく。残すところ僅かとなった今年も人々の幸福を願い、来る新年も安寧であることを祈るように五重塔は玉砂利の中に鎮座している。

 ぽつぽつと雨音がしだした。気がつけばいつの間にか雨雲が空を覆っている。俄か雨のようだ。悠久の古刹に別れを告げて家路に着こうと時計を見る。バスは行ってしまったばかりだ。歩き回って喉も乾いたので、近くにある茶店で取り敢えず一杯といこう。

令和3年12月1日

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