2024年2月「交差点の向こう」

 誰もいない早朝の交差点。今日はどのくらいの人がこの交差点を過ぎていくのだろう。今まで数えきれないほどの交差点を渡ってきた。それは、さまざまな岐路でもあった。

最初の交差点は、自宅の近所にあった「原っぱ」かもしれない。幼稚園の同級生もいれば、小学生のお兄ちゃんから大人まで、近所の「原っぱ」にいた。ここでいろんなことを教わり、喧嘩をしたり野球をしたりして、「原っぱ」という交差点を渡っていった。

 学校という大きな交差点のなかに教室という交差点もあった。ジェンダーという言葉もなかった時代だが、女子生徒の存在が幅を利かせていた交差点であった。

 長じて、現在の事務所を始めた頃は、正に交差点の真ん中にいた。どちらに進むのか?

何を目指していくのか?全く霧の中の交差点であった。”やみくも”というエネルギーだけで交差点を渡っていた。ある時、霧の向こうで手招きをしてくれた人がいた。交差点を渡ると「一緒に飯食わないか?」と。

ある会社の経営者であった。話をたくさん聞いた。人生の先輩として、経営者として多くのことを教えてくれた。声には出さなかったが、心の中で”師匠”と呼んでいた。仕事を依頼され、事務所の所員も増えていった。そこで、思い切って”師匠”に「お客様を紹介してください」と言うと、

「君に顧客を紹介すると、忙しくなって、わが社に来る回数が減るから、紹介しない」とのこと。ある意味大変うれしい言葉ではあるが、それでは所員の給与を支払えない。

”師匠”の所に行く回数は減らさないで、別の交差点を渡る。渡れば渡ったぶんの出会いがあった。第二の師匠、第三の師匠とも出会った。

 その方々の考え方や仕事の仕方、遊び方まで真似をした。自分という自我を消しても

良いところを盗ませていただいた。皆さん好人物であり、無類のお人よしである。

 交差点の向こうには、お人よしをいいことに近づいてくる者もあった。面従腹背の輩もたくさんいた。致命傷には至らなかったが多少の火傷も経験した。そこから判ったことがたくさんある。それでも「人生はやってみなければわからない」とも思う。

 自ら立つ交差点もあるが、立たされる交差点もある。どちらにしてもそれが未来を切り拓く大きな岐路であると思う。そして、是々非々は別として、人と会わなければ何も始まらない。

 昨年暮れから今年の始めにかけて従兄や先輩の訃報があった。私の今を作ってくれた人たちである。「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」という言葉があるが、縁を活かしきれたのか悔やむところである。

 歳を重ねてくると、出会いよりも別れが増えてくる。自分の中の人財が減っていく。だから、また交差点を渡る。このスクランブル交差点の向こうに未だ見ぬ人を探しに!                 

2024年2月1日

photo by kishimoto