2024年3月「過ぎ去った電車」
時計を見た。6時47分を過ぎている。電車は6時48分発である。走った。間に合わない。無情にも電車は定刻通り出て行った。誰のせいでもない。自己管理ができていないからだ。次の電車を待つ間、売店で新聞を買う。周りの多くの人はスマホを覗いているが、紙の時代に育った私は新聞紙が手に馴染む。
記事をみれば、AIだのChatGPTだのDXだの。横文字が踊っている。私の事務所でもDX化に向けてデジタル化に取り組んでいるが、ついていくのに息も絶え絶えである。なにかといえば「AIが判断してます」「ChatGPTがこう言ってます」という言葉が飛び交う。いつから人間よりもAIの意見が優先されるようになったのか!心の中で思う。「AIめ、お前ら電気がなければ何も出来ないじゃないか!いつか電源のコンセントを引っこ抜いてやる!」
電車に乗り遅れた腹立ちが、私の心を荒ぶる状態に運んでいく。そこに日本の出生数の記事が眼に入ってくる。人口動態統計によると出生数は過去最少の75万人、死亡数は過去最多の159万人、減少数は83万人と人口の減り具合は過去最高のものだという。人口が減ることにより労働力が減り、GDPもドイツに抜かれてしまった。しかし、なにをいまさら驚くのか?既に30数年前には指摘されていたことである。要するにこの30数年間は、何も対策を取ってこなかったことが明白になったのである。
ドイツをはじめとしてフランスやイギリスは、日本と同じように少子高齢化が叫ばれていた。そこで国を挙げて子育て政策を実施し人口形態を整えてきた。先進の事例があるのに、なぜ小手先の子育て対策しかできなかったのか?ドイツの人口は日本の約3分の2。イギリス・フランスは約半分の人口である。それでもGDPでは、ヒタヒタと日本に迫っている。要するに人口が少なくても働く世代の人数が日本よりも多いわけである。今起きている様々な社会問題も、その多くが労働力減少に起因している。すべてを政治の責任ということは出来ないかもしれない。国民一人一人の責任もあるであろう。しかし、政治が無能であったことは確かである。
ずいぶんと長い時間を一つの政党が政策を仕切ってきた。その結果がこれである。その政党を支持してきた私にも責任の一端があると思う。今年生まれた子供たちも含めて、子供たちに未来はあるのか?この国の未来は?背筋が凍るような未来が見えてくる。
さらに新聞に眼を通せば、政治資金問題に関する政治倫理審査会を開く・開かない、非公開・公開、出席するだのしないだの、政党の村の論理で騒いでいる。挙句の果てに何のために開催したのかも解らない。国民を見ていないし、国民もまた何も期待していない。
ひたすらムダな時間が流れていく。もう、古びたページは閉じて、新しいページを開く時だと思うが、新しいページが見つからない。考えてみれば別れるということはそういうことかもしれない。乗り換える電車があったならサッサと人は乗り換えるだろう。乗り換えるものがないからずるずると長い政権が続いてきたのであろう。
そんなことを考えていると、再び電車が定刻通り過ぎ去っていった??そもそも別のホームに私は立っていたのだ!若い頃はこんな間違いは犯さなかったが、最近はこんな勘違いが多い。乗り換える電車がないというのも勘違いかもしれない。電車ではなくても、バスもタクシーもあるだろうし、何なら徒歩という手段もある。
この国の未来のためにも政治を政党に託すことなくできることもあるだろう。過ぎ去った電車に別れを告げて、なにができるか考えてみたい。さらばParty! To close the chapter! Opening new chapter! 子供たちの未来のために!
2024年3月1日
photo by kishimoto