2023年5月「休筆?」

『この季節になると、どこか寂しさを感じる。冬が終わり、春が始まり、新しい命が芽吹く季節といえば、それはもう5月。しかし、この季節になると、何か物悲しさが漂っているように感じる。もしかしたら、私の感覚が鈍ってしまっているのかもしれない。

この時期、人々は新緑に包まれ、明るく陽気な気分になるもの。しかし、私はどうしてもその光景に心を動かされることができない。もしかすると、この季節に感じる寂しさは、私自身の何かに由来しているのかもしれない。

新しい始まりが訪れるということは、同時に何かを切り捨てるということでもあるからか。私たちは、人生の中で何度も新しい始まりを迎える。新しい職場、新しい出会い、新しい暮らしなど、人生の様々な場面で新しい始まりがある。しかし、そのたびに何かを切り捨てることになる。

何かを捨てるということは、それまでの自分との別れでもある。その別れを感じながら、新しい始まりに向かって進むことは、とても辛いことである。それでも、私たちは新しい始まりに向かって進まなければならない。未来に向けて進むためには、過去を切り捨てる必要がある。

そして、その別れを感じながらも、私たちは進むことを決める。5月という季節は、新しい始まりが訪れる季節でもある。新しい始まりに向けて進むためには、過去を切り捨てることも必要かもしれない。そうすれば、物悲しさを感じることなく、新しい始まりを楽しむことができるのかもしれない。

いつもならこのブログを書くのに1時間弱ぐらい掛かるのだが、今回は10分足らずで済んでしまった。 上記の文章は、今話題の生成AI「Chat GPT」に・・・ 「5月のブログを少々アンニュイな雰囲気で随筆風に800文字で書いてください」というメッセージを送ったところ、わずか十数秒で上記の文章(”てにをは”は筆者修正)が生成されたものである。私の書く文章と遥かに次元の違うものである。我々が積み重ねてきたものが、瞬時に凌駕されていく。人が作ったものか?AIが作ったものなのか?それこそ判別はAIがおこなうのだろうか?

 イーロン・マスクがChat GPTの開発を一時停止しようと呼びかけたが、その速度は止まることを知らない。人類は何を目指していくのだろうか?このブログも私の文章能力が「Chat GPT」とは一味違うものになるまでは休筆としようか?それともそれはムダなことなのか?

2023年5月1日