OI
子供の頃から寒いこの時季が好きだった。凍った霜柱を足で踏みつけて霜柱が壊れていく音。池に張った氷を野球のバットでたたいて割っていく面白さ。強い風のなかの凧上げ。糸が切れ、凧は遥か彼方に飛んでいってしまう。息が切れるほど走って追いかけていく。
見つかるときもあれば、行方知れずのこともあった。何も寒くなかった。着ているものも今よりは格段に粗末なものであったと思うが、寒いこと自体が楽しかった。かじかんだ指先もその感触が面白かった。長ズボンを履いている友達を見れば「年寄り!」とからかっていた。
風が、陽が、空が、凛とした2月は特に好きである。
それは、長じても続いていた。朝起きて窓を開けるのが楽しみであった。「ひょっとしたら、雪が降っていないかと・・・。」雪国の方には申し訳ないが、雪の降らない私の住む地域に雪が降るのは何となく心弾むのである。
しかし、今年は違う。寒い戸外に出たくないのだ。寒い中で心筋梗塞にでもなったら・・・。
などと考えてしまう。体のあちこちが若い頃とは違ってきている。正月明けにふと気が付いた。新聞・書籍の文字がぼやけるのだ。老眼鏡などなくても読めていたものが、読めなくなってきた。加えて数年前に罹ったメニエール氏病からの難聴である。眼・耳ときて確実に“老い”は近づいている。
しかも、先月末までは、昨年暮れに亡くなった母の忌中であったから、暮れから新年にかけての忘新年会は、すべて自粛した。毎日、仕事が終わると何処に寄ることもなく、家路についた。少しばかりのお酒を飲みながら、家内の手料理に舌鼓を打つ。互いに体の具合の悪い話をし、歳をとったねと言いながら夜は過ぎていく。少々読書をして早めに就寝。
こんな生活が1か月半も続いている。こんなことは、今までの人生の中で初めてのことである。
真夏以外エアコンのスイッチを入れたことがないが、今年は就寝前に部屋を暖めている。それだけ寒さが堪えるようになっている。寝る前に本を読むのは子供の頃からの習慣である。
今読んでいる本は、“A Iが経済をどう変えるか”に関するものであるが、読みながら眼が霞んでくる。“A I”ならぬ“O I”である。
やはり、この1か月半の自粛生活が、私から元気を奪っていったのかもしれない。元気はエネルギーだから、元気が無い分寒さを感じるのかもしれない。刺激がないと頭脳は、退化するという。
“A I”は、我々が想像するよりも早く社会経済構造を変えてくることであろう。“A I”も新しい刺激を受けてどんどん進化していく。しかし、私は刺激を受けて“O I”の進化を遅らせなければならない。
我が家の河津桜も寒さに耐えて芽吹いてきている。私も寒さに耐えて刺激を受けに外に出よう。街の灯りの皆様、お待たせいたしました。“O I”を遅らせるためにも刺激を頂けますようしばしお付き合いの程お願い申し上げます。
平成30年2月1日