2022年10月「移ろふ季節」

 心なしか見上げる青空が高くなっている。時折見せる夕焼けもその表情を変えている。今年の夏は、酷暑だったせいか落葉が早い。夏の雨量が少ないと木々も早くから葉を落とすらしい。人生を四季に例えることはよくある話だが、春から夏が上り坂なら、私の年齢ではすでに下り坂に差し掛かり、秋の只中にある。

 年齢を重ねて老いていくのは正常な生命の営みであるが、いざ自分がその坂を下りていくと思うと寂寞とした想いと乾いた汗が体に纏わりついてくる。物覚えが悪くなり、今まで何ともなかった動作が億劫になってくる。そうかといって、休んではいられない。為すべきことは山積している。家族には恵まれた。大勢の家族であった。しかし、季節が移るごとに子供たちは独立し、父が逝き、母も旅立った。子供や孫たちの喧騒も消え、今では配偶者と二人きりである。

 やがて仕事から離れ、庭いじりでもして余生を過ごそうかと思っていたが、それは大きな誤りであった。郊外の家は、老いの坂を迎えている者にとっては、不便である。今は、交通手段にクルマを使っているが、やがて運転もままならなくなることは、確実に予想ができる。冬茜を迎える前に。まだ気力も体力もあり、今ならできる。と心に決めた。母が亡くなった5年ほど前から計画し、やっと実行できた。

 街の中心部にほど近いところに居を移した。断捨離という言葉がよく使われるが、引っ越しは、究極の断捨離である。如何に不要なモノに囲まれていたのかがよくわかった。まだ20代の頃、シンプルライフという言葉が流行ったことがあるが、私の生活はそれとは全く逆であった。モノがあることに価値観を置いていた。モノに固執していた。それも大きな誤りであった。若い人たちの生活スタイルをみれば、本当にシンプルな生き方をしている。

 若い人たちのライフスタイルに学ぶことは多い。そうかと言って、”老いては子に従え”という言葉に同意する気持ちはサラサラない。ただ、引っ越しによって、モノに価値観を見出す時代はとうに終わっていたことに気づかされた。引っ越しでモノの断捨離は一応済んだが、あとは心(欲望)の断捨離ができるかどうかである。おそらくそれは死ぬまでできそうもない。

 なぜなら引っ越しの最中に配偶者が発した「今度のお休みにはどこの店に飲みに行く?タクシーも代行も必要ないね!」の言葉に、思わずポケットにしまってあった新聞広告を取り出した。街の中心部では新聞の折り込み広告に”飲み屋さんのチラシ”も入っているのである。そんなものを大事にしまっているようでは、まだまだ断捨離にはほど遠い。

いずれにしましてもお近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。

photo by kishimoto

2022年10月1日

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