「夏の終わりに」

 三角形に打たれたコンクリートの柱が左右両側に並んでいる。柱と柱の間から木漏れ日が漏れている。その淡い光の中を私の乗った人力車は、静かに走っている。頭の中に遠い記憶が蘇る。ここは、以前にも来たことがある。

 7月の初めの頃、7泊8日の旅を勧められた。予定を見れば8月の最終週が比較的空いている。だから今年の夏季休暇は、個人的に遅れてとった。
 
 さあ、旅に出よう! 人力車で進む風は、頬に触れてしばらく鼻先で遊んで流れていく・・・。やがて、人力車は止まり、私は部屋に案内される。明るく、そして広い空間が広がっている。深緑色したレザーシートに身を横たえながら、私は何日も寝てないかのようにあっという間に深い眠りに落ちた。
 
 何処か遥かに遠いところから、「1.2.3. GO!」という声が聞こえると同時に、私の体は宙を舞い、硬いベッドに移された。周りで数人の声がするが、意味が分からない。来た道を戻っているのか、別の道を急いでいるのか、とにかく意識が交錯する。 突然、動きが止まり、流れていた天井も止まった。「わかりますか?手術は無事終了しました。」「これから3時間全身麻酔が切れるまで、少しキツイですが頑張ってください。」

 少し、頭がはっきりしてきた。私は全身麻酔で手術を受けたのだった。
今年の寒い時分に「人間ドック」に入り、ついでに”脳ドック”を受けた。その時に右頬の副鼻腔に炎症があるとの指摘を受けていた。曰く、副鼻腔炎(蓄膿症)は、放っておいても治らないから外科的除去しかないので、耳鼻科で相談して処置してください。とのことであった。相談すること5か月。8月の終わりの旅となったのである。

 さて、3時間頑張ってと言われても、今が何時なのかわからない。仰向けに天井を向いたまま身動きできない。体が鉛のように重く、喉がからからに渇き、体中をロープでぐるぐる巻きにされているように感じる。やっとの思いで右腕を動かし、マスクの位置をずらそうとするが、硬質の酸素マスクがはめられびくともしない。とても長い時間が流れたようだった。 

 看護師さんの声が聞こえ酸素マスクが外された。しかし、腕には点滴が3本入っており、胸から腕・足首まで心電計、指先にもパルスオキシメーター、両足は血栓症を防ぐために包まれて圧縮を繰り返している。翌朝までそのままの状態であった。眠れないままに朝が来た。点滴以外はすべて外された。やっと我に返った思いである。

 術後3日目に主治医から、経過良好のこと。明日にも退院できるとのこと。このときの解放感は、表現ができないほどであった。旅は4泊5日に変更された。しかし、この旅を終えてつくづく思う。健康のありがたさ、周りの人たちの支え。大きなものに守られているという感謝の気持ち。

 この旅の宿泊地は、総合病院であり、コロナ感染症の方を受け入れている病院でもある。スタッフから漏れ聞こえてくるのは、コロナ感染症との壮絶な闘いである。過酷な労働環境の中で、日々闘っている人たち。”職業としての医療従事者”を越えた存在とすら感じる。それに引き換え「コロナ感染症の見通しは明るい」と言ったどこかの宰相がいたが、”職業としての政治家”にもなり得ない代物である。
 それはさておき、旅から無事の帰還を祝して乾杯である。とは言ってもノンアルで乾杯!

令和3年9月1日

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