山装う

夏の間は、封印していた近所の山道を歩く。なぜ封印していたのかと言えば、うっそうと樹々が繁った夏場の風の通らない山道は、猛烈な高温になること。加えて、スズメバチ等の活動が活発で危険だからである

久しぶりの山道は、すっかり紅葉となり、落ち葉が積もり始めてきている。

油断をすると滑って足元を取られやすいから、用心深く坂道を降りていく。事務仕事が多いため歩くことの少ない私は、極力毎朝歩くようにしているが、ここ数カ月は平坦な道を歩いているせいか、山道の登り降りは足腰がきつい。それとも歳のせいかな。と何でもかんでも“歳のせい”にしてしまう。

若い頃からの腰痛持ちに加えて、最近はあちこちが痛む。視力も聴力も落ちてきている。同世代の話を聴くと、体の不具合の応酬ばかりである。少し具合が悪いからといって診療所にいけば、必ず「そういう年齢ですね」と言われる。
「それは老化ということですか?」と問えば、「そうとも言います」と返事が来る。同世代の医師から言われればまだしも、息子ぐらいの医師から言われると、面白くない。面白くないが事実である。

世の中は、“若い”ということに価値観が行き過ぎているようにも思う。そういう自分だって、若い頃は“若いことはいいことだ”と思っていた。自分が年齢を重ねてみると、「若い=Good」ではなく思えてくる。誠に勝手なものである。新聞の広告欄やチラシ、テレビのCM等でもアンチエイジングの花盛りである。やれ「60代からの筋肉作り」とか「70歳でも間に合う長生きの秘訣」等々の書籍の売れていること。しかし、ちょっと前の時代では、70歳は長生きの部類だったようにも思うが、この超高齢社会のなかでは、まだ序の口なのかもしれない。私の事務所のお客様の企業でも70代の経営者は大勢いらっしゃるし、80代の経営者も何人かの顔が浮かんでくる。そして皆さんお若い!

そのような経営者を観察していると、皆さん一様に柔軟性がある。体の柔軟性ではなく頭の柔軟性である。飽くなき好奇心の持ち主であり、変化に対応する能力が極めて高い。固定観念にとらわれず、次から次へと変化している。そして、私の貧弱なボキャブラリーでは、上手く表現できないが、若者が持っていない“色気“がある。アンチエイジングなどする気もないが、この”色気“だけは、身に付けたいと思う。

 先日もある病院の待合室で、先輩経営者から声をかけられた。ダークスーツに同系色のワイシャツ、オレンジ色のネクタイ。キマッテいる。近づいて「どうかされました?」と尋ねると「糖尿病でね。時々通院しているよ」との返事がたまらなく明るい。「あなたはどうして?」と聴かれたから「実は血圧が少し高くて、○○ぐらいなんです」と言うと、「そんなの高いうちに入らんよ!俺の方が□□でよっぽど高いよ」とこれまたニコニコしながら私の肩をたたく。その後も血圧に関する蘊蓄を話され「病院に来る必要ないよ。その時間があれば遊びなさい。人生100年まだまだ序の口」とまで仰る。妙に説得力がある。この説得力も彼の色気が十分に感じられる。「冬が来る前に遊んでおきなさい。冬が来たら冬なりに遊べばいい」なるほど。

人生を四季に例えれば秋の時代を生きている。俳句の季語で言えば秋は「山装う」である。ちなみに言えば春は「山笑う」、夏は「山滴る」、冬は「山眠る」である。「山眠る」までには、まだ時間がある。無理をすることなく、抗うことなく秋の時代にふさわしい装いを纏い淡々と生きていきたいものである。

令和2年11月1日

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