2022年8月「夢は何処へ」

 節電のためにエレベーターホールは、薄暗くほのかな光に包まれていた。やがてエレベーターが開き、幾人か降りてきた。一瞬でその中にいる一人の人物と眼が合った。東日本大震災から半年過ぎた頃だろうか。省庁を始めとしてあちこちで節電が実施されていた。議員会館も当然薄暗かった。

 思わず「こんにちは」という言葉が私の口から出ていた。帰ってきた言葉は「ああ、浜松の・・・立さんのところの・・」であった。当時、衆議院議員であった安倍晋三氏である。総理大臣を辞した後に、政権が変わり、安倍氏の属する政党は野に下っていた。その頃、私は所属する業界の法改正実現のために、与党野党を問わずに国会議員の方々と意見交換していた。

 あるワーキンググループに参加したときに座長は安倍氏が務めていた。たいへん弁の立つ方で、歯切れがいい、しかも気さくである。私は一瞬で引き込まれてしまった。

 その後、再び総理大臣に返り咲き、わが国の舵取りを行なっていた。東日本大震災の被災者並びに被災地に対する救済を最重要課題として取り組むと共に、外交問題、経済成長等々に対する彼の施策は、歴代の首相のなかでは、群を抜いていた。世界に通用する宰相と誰もが思ったのではないだろうか。

 しかし、功績の陰でアキレス腱ともなる問題もあった。それらの問題に説明責任を果たしたかという点では、残念なことであった。

何回かお会いすることがあり、会うたびに引き込まれるオーラがあった。盟友であった麻生氏とご一緒したときには、これが一国の総理・副総理かと思うほど気さくでユーモアたっぷりであった。

 毎年、新年に書かれる色紙も何枚かいただいた。色紙の言葉は「至誠」「不動心」「夢」などであった。私は「夢」という文字が書かれた色紙が一番気に入っていた。

 今回あらためて色紙を取り出してみたら、何故か「夢」と書かれた色紙がない。もちろん捨てた覚えはないが、何処に行ってしまったのであろう。

為政という旅の途中で斃れた彼の「夢」は何処に行ってしまったのであろう。

この8月には、せめて彼の地に「誠」の哀悼を捧げに行って来ようと思う。  合掌

Photo by:T-kishimoto 令和4年8月1日

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