2026年8月『サバイバルな季節』

 連日のように「命に関わる危険な暑さ」が報じられている。私の住む地域でも最高気温が40℃に迫り、「酷暑日」が秒読み段階である。先日、車のドアを開けて運転席に乗り込むと、メーターが外気温「39℃」を示しており、思わず息を呑んだ。もはや日本の夏は、いかにしてこの過酷な暑さから身を守るかという「サバイバルな季節」へと変貌してしまったようだ。

 しかし、この身の危険を感じるほどの暑さの中で、先月閉会した国会の議論を思い返すと、私は余計に暑苦しさを感じざるを得ない。メディアを賑わせていたのは、「国旗損壊罪」の新設法案や「皇室典範の改正」をめぐる議論であった。もちろん、これらも国のあり方に関わる重要なテーマではある。しかし、多くの国民が抱いたのは、「なぜ今、私たちの生活を脅かすこの酷暑から目をそらすかのように、唐突にこれらの法案が出てきたのか」という疑問ではないか。本来であれば、国民的な合意形成や徹底的な熟議を重ねるべき課題が、十分なプロセスを経ずに浮上してきたように感じられてならない。

 何よりも優先すべき課題が見過ごされている。毎年更新される最高気温や頻発する豪雨災害は、私たちの生存を直接的に脅かす「地球温暖化」という超一級の危機が迫っている現実を突きつけている。世界に目を向ければ、温暖化現象が引き金となった歴史的な猛暑と干ばつにより、北米やヨーロッパで未曾有の規模の森林火災が相次ぎ、地球規模の悲鳴が上がっているのは周知の事実だ。

 それにもかかわらず、先月の国会では、この最も重要な地球温暖化対策という問題が「かすり」もしなかった。この事実こそ、最も看過できない点であり、政治が「やるべきことの順番」を完全に見誤っていると言わざるを得ない。

 奇しくも、私たちが歴史的な問いと向き合う8月を迎えた。81年前の敗戦に際し、私たちはこの国をどのような社会にすると誓ったのだろうか。それは二度と過ちを繰り返さない「戦争放棄」であり、家父長制的な古い価値観から脱却した「男女平等・同権」の社会ではなかったか。近年では性的マイノリティの権利擁護を含め、多様性を認め合う社会の実現が叫ばれている。それなのに、国会ではいまだに「皇統は男系男子でなければならない」という、耳を疑うような前時代的な議論に固執している。

 直近の世論調査では、実に81%もの国民が「女性天皇」を支持しているという圧倒的な民意があるにもかかわらず、である。これほど明確な国民の意識を置き去りにし、今議論すべき法案なのかの検証もせずに時間を費やす一方で、国民の生命を守るという最大の責務が疎かになっている現状には、深い矛盾を感じる。

 政治の本質とは、国民の生命と財産、そして平穏な暮らしを守ることにある。81年前に誓った平和と平等の精神を基盤としつつ、今を生きる私たちの命を最優先に守ることこそ、政治に課せられた使命である。今こそ、政治がリーダーシップを発揮し、地球温暖化対策という「一刻の猶予もない課題」に真正面から取り組むべき時ではないか。

あまりにも暑いせいか、少し論調が過激になってしまった。それほどまでに、“暑い!”のである。

2026年8月1日

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photo by kishimoto

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