観天望気


なぜか不意に、遠い過去の記憶が甦ることがある。子供の頃、友達と野原で野球をやっていた。急に空が、真っ黒い雲に覆われ土砂降りになった。大切なグローブが濡れないよう小脇に抱え近所の家の軒先に駆け込む。
「もう少しでチェンジだったのになあ」「早くしないと日が暮れちゃうよ」などとそれぞれが、降注ぐ雨に苛立っていた。

誰かが云った。「もうじき雨は止むよ」誰もがその声のする方向に顔を向けた。「どうして?」「だって、スズメが飛んでいるだろう。スズメが飛び始めたら雨は上がるってお爺ちゃんが言っていた」「理由はわからないけど、そう云っていた」

そう云われれば、スズメが数羽低空で飛んでいる。雨脚がポツリポツリとなり、本当に止んでしまった。雨でぬかるんだ原っぱに戻り、足元なんか関係なく野球を続けた。泥だらけになった運動靴を引きずりながら「腹減ったあ」と云いながら帰る。途中、西の空が夕焼けに染まる。また誰かが云った「夕焼けだから、明日も天気だね。また明日野球できるね」

こういう会話がどこにでもあった。天気予報なんか見なかった時代。自然の移りゆく様から、天気の変化を感じ取っていた。また、周りの大人たちがいろいろなことを教えてくれた。“遠くからでも太鼓の音が聞こえると晴れる” “お月様に輪がかかると雨になる” “乾の方向で雷が鳴ると雨が降る” “お月様が赤いと天気は崩れる” “夕方の虹は晴れ”等々、挙げれば切りが無いくらいである。

そういえば亡くなった母が云っていた。「南西から聞こえる海鳴りは心配ないが、南東から聞こえる海鳴りは台風が来る知らせ」確かに昨年の台風24号の時には、数日前から海鳴りが南東の方向から続いていた。こういう教えがあったにもかかわらず、軽く考えていた。思い返せばちょうど1年前である。9月30日に猛威を振るい、私の住む街でも26万戸余りが停電した。我が家でも庭木が倒れ、屋根瓦にも被害があった。

今、明日の天気は?といえば、スマートフォンから検索。天気予報があたる確率は相当高く、自然現象から感じとることはほとんどない。しかし、考えてみれば、古代より人は、雲の流れ、風の吹き方、空の模様、動物・昆虫の動きなど自然現象や生き物の様子などから天候を予測してきた。このことを「観天望気」という。天(空)を見て雲の流れや気流の様子を探ることの意味である。

言い換えれば、自然現象に敏感となり五感を働かせて明日という日を占い、様々なことに備えて日々を過ごすということであろう。我々が忘れてしまった先人の知恵である。何でもスマートフォンに頼ってしまう現代人にとって、観天望気は人が持っている感性を取り戻してくれるような気がする。

私も先人の感性に学ぼうと、10月の声を聞いた朝に外にでる。日中はまだ汗ばむことがあるが、朝夕は確実に秋がやってきている。半袖のTシャツでは、ちょっと寒いかなと思いながら、外に出て体をほぐす。腰の養生のため身体を反らす。青空に“ひつじ雲”が浮かんでいる。“ひつじ雲”が出ると天気はどう変わるのだったっけ?と、ポケットからスマートフォンを取り出し、検索してしまう始末。観スマ天気である。

令和元年10月1日

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