2024年5月「ポッポのある道」-散歩の途中で-

 私の住んでいる町は、南アルプスから続く台地が街の中心部まで迫り、起伏の多い町である。したがって今日も坂道を上っている。上りきったところにホテルがある。この街でいちばん古いホテルである。ここを通ると私の人生の様々なことが蘇ってくるが、それは今日の主題ではない。坂を上りきったから、今度は下っていく。もうひとつホテルが左手に見える。オリエンタル調を売り物しているホテルである。道路に沿って椰子の木が数本立っている。入り口には夜でもないのに篝火が焚かれており今にも素肌を露わにした踊り子が飛び出してきそうである。   

 さらに坂道を下っていくと信号が赤から青に代わり、横断歩道を渡る。そこには、赤い帽子と赤い布を纏ったお地蔵様が四体鎮座している。誰が供えるのか、いつも白い菊と饅頭が添えてある。10分ほど歩いていくと、並木道が見えてきた。歩道の両側に桜の木が続いている。歩道はグレーのインターロッキングが敷かれ、道の中央に色の違う橙色のインターロッキングが2本、線路のように続いている。

 なにやら踏切の遮断機のようなものが見えてくる。しかもその向こうに黒い塊がある。歩くこと数分、その塊は機関車であることが判った。こんなところに機関車が……。小型である。全長4メートルくらいか?辺りを見回すと、桜の枝の間に説明版が立っている。大正7年(1918年)岐阜県の工場で作られた軽機関車ケー91だという。製造後100年以上は経っている。引退後は、国立鉄道博物館等で展示されていたが、後に払い下げられてこの地に鎮座しているという。

 この街にはJRの工場があり、その前身は国鉄の機関区である。この機関区は鉄道車両の点検・修理を主な業務としており、町の中央の駅からこの機関区へ車両を移動させるための引き込み線が、今私の立っている歩道にあったのである。軽機関車は、この引き込み線で重い車両を牽引していたのである。

 その生涯において、またこれだけの小さな体で、どれだけの客車を運んだのか、どれだけの人生を運んだのか。涙をためて乗った人、怒りながら乗った人、希望に満ちて乗った人、赤ん坊を抱いた人、酔っぱらった人、失恋した人、どれだけの人生を乗せて走ったのか。貨物も運んだ。北の米、魚から南の野菜、木材、石炭、どれだけの人の生活を支えて走ったのか。

 そうして、今の街があり、人がいる。連綿と続く人の営みが、社会を形成していく。それを止めることは誰にも許されないことである。しかしながら、その営みが破壊され、止まっている街が世界には数多くある…。

 すぐ傍を、新幹線が走ってゆく。たくさんの物語を載せて走ってゆく。いつの日か新幹線が歩道に展示される社会になることを願って、帰途に就くとしよう。

2024年5月1日

photo by kishimoto

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