2022年5月「分岐点:turn out point」

電車が走っていない線路を撮影するのが難しい。この駅にはひっきりなしに電車が出入りしている。北から南へ、西から南へ、南から北へと数多くの路線がこの駅を目指してやってきては過ぎていく。

 幾重にも並んだ分岐器がその進路を変えていく。駅指令室からの指示により分岐器は瞬時に切り替わっていく。スタートは同じでも、分岐によって行く先は大きく変わっていく。

 人生と同じである。否、同じではない。人生はスタートが同じではない。頼んでもいないのに生まれてきて、望んでもいない親のもとに生まれる。恵まれた家庭、過酷な環境、生まれてくる子供に罪はないが、スタート時から格差が生じている。そのことを最近では”親ガチャ”と言うらしい。そのことをここで論じるつもりはない。

 しかしながら、この幾重にも並んだ分岐器をみていると、今までいくつの分岐を越えてきたのだろうかと思う。あの時の分岐、この時代の分岐、たくさん分岐があったはずであるが、そんなことは考えもせずに、電車に飛び乗ってきた。

 ♪この線路の向こうには何があるの?~行き先さえ無い明日に飛び乗ったの♪という歌詞の歌があったが、行き先は決めて乗ったはずである。

人生は「仮説の検証である」と、どこかの哲学者が言ったかどうかはわからないが、そんな言葉が浮かんでくる。

 「こうなるはずだ。こうすればいいはずだ。それでいいはずだ。」と仮説を立て分岐を変えていく。目的地に到着すれば仮説が合っていたことであり、目的地とは異なるところに立てば、仮説は正しくなかった。ということかもしれないが、人生はそこがまた面白いのかもしれない。”この線路の向こうには何があるの?”の好奇心を失うことなく更なる目的地を目指したいものである。

 それにしてもゴールデンウィーク、しかも浜松祭りの真っ最中である。いくらコロナ感染症の影響で制限があるとは言え、袢纏にも袖を通さないで、このブログを書いているとは。これも分岐点か?

令和4年5月5日

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